お葬式
2003年4月26日今日はおばあちゃんのお葬式でした。
思えば高校の途中で引越しをするまでの間、
いつも一緒に過ごしたやさしいおばあちゃん
でした。
小学校の隣のお菓子屋さん。
それが私の家でした。
お小遣いの代わりにお店のお菓子をもらって
ずっと過ごした小中学生時代。
特に思い出に残っていたのは天体少年だった
私が星に興味を持って、天体観測に夜中に
行くときには必ず望遠鏡を乳母車にのせて
学校までつきあってくれた。
寒い夜に天体観測をして数時間後に帰ると、
寝ずにまっていてカップラーメンを作ってくれる
のがとても楽しみだった。
月食の日に夜明けまで一緒に月を屋根に寝転んで
見た記憶が甦ります。。。
また、夏休み。
サッカー少年だった兄と私。
朝連はいつも6時からだった。
7時30分頃になると冷たい麦茶とレモンの
ハチミツ漬けを運んでくれる。
小学校の近くのお菓子屋さんといえば、とても
人気のある溜まり場。
そこに必ずいる明るいおばあちゃん。
そんな思い出が走馬灯のように甦ります。
最後のお別れのとき。
霊柩車の前に、父が戒名を持ち、兄が写真をもち
近くには小学校時代の恩師、当時サッカー少年
だった仲間達が。。
そのころ怖くて車が止まっているだけでも嫌な
気分になった父が、出棺の挨拶に際し。。。
「こんなたくさんの皆さんに支えられて。。」
と言ったまま次の言葉がでてこなくて。
涙ながらに「ありがとうございました」と。
父の老いた姿にも愕然としました。
なんだか涙が止まらなかった。
でも同時に、少し気持ちも晴れたような気が
しました。
夜、独りになって。
やはり寂しかった。
独り、深酒をする。
今日は誰も止めなかった。
明日は元気になろう。
思えば高校の途中で引越しをするまでの間、
いつも一緒に過ごしたやさしいおばあちゃん
でした。
小学校の隣のお菓子屋さん。
それが私の家でした。
お小遣いの代わりにお店のお菓子をもらって
ずっと過ごした小中学生時代。
特に思い出に残っていたのは天体少年だった
私が星に興味を持って、天体観測に夜中に
行くときには必ず望遠鏡を乳母車にのせて
学校までつきあってくれた。
寒い夜に天体観測をして数時間後に帰ると、
寝ずにまっていてカップラーメンを作ってくれる
のがとても楽しみだった。
月食の日に夜明けまで一緒に月を屋根に寝転んで
見た記憶が甦ります。。。
また、夏休み。
サッカー少年だった兄と私。
朝連はいつも6時からだった。
7時30分頃になると冷たい麦茶とレモンの
ハチミツ漬けを運んでくれる。
小学校の近くのお菓子屋さんといえば、とても
人気のある溜まり場。
そこに必ずいる明るいおばあちゃん。
そんな思い出が走馬灯のように甦ります。
最後のお別れのとき。
霊柩車の前に、父が戒名を持ち、兄が写真をもち
近くには小学校時代の恩師、当時サッカー少年
だった仲間達が。。
そのころ怖くて車が止まっているだけでも嫌な
気分になった父が、出棺の挨拶に際し。。。
「こんなたくさんの皆さんに支えられて。。」
と言ったまま次の言葉がでてこなくて。
涙ながらに「ありがとうございました」と。
父の老いた姿にも愕然としました。
なんだか涙が止まらなかった。
でも同時に、少し気持ちも晴れたような気が
しました。
夜、独りになって。
やはり寂しかった。
独り、深酒をする。
今日は誰も止めなかった。
明日は元気になろう。
コメント